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どっちがどっち?

2002/08/23作成

衣の部


「下着」と「ランジェリー」
 下着は上着の反対語。英語の “underwaer” に相当する。したがってシャツと名のつくものは下着の扱いであり、Tシャツもワイシャツも下着のうち。ついでながら欧米では靴下も下着の一種(→『「靴下」と「ストッキング」』)。
 フランス語「ランジェリー( “lingerie” )」の語源は「麻(リネン)の下着」であり、装飾性の高い下着のことである。ただし、ストッキングはランジェリーではなく “hosiery” (靴下類)で別扱い。
 英語「ファウンデーション( “foundation” )」はラテン語 “found” (「…の底を置く」)から、「土台、基礎」の意。「基金」を意味する英語 “fund” も同源。基礎化粧品をファウンデーションと呼ぶのも同じ理由から。体型矯正機能があるものは原則的にファウンデーション。
 したがって、「ランジェリーは見せるもので、ファウンデーションは隠すものである」といえる。
 なお、肌に直接つける衣類が「肌着」で、下着の一種。


「ブラジャー」と「キャミソール」
 フランス語「ブラジャー( “brassie´r” )」はフランス語で「小さなキャミソール」の意味。
 「キャミソール( “camisole” )」は古い英語で「女性用の長下着」(→「スリップ」と「ネグリジェ」)。


「スリップ」と「ネグリジェ」
 「スリップ( “slip” )」はドレスの下に着て肌との滑りをよくするもの。
 なお、「スリップ」と間違えやすいものに「スリッポン( “slip-on” )」(「スリップ・オン」とも)がある。スリッポンは、ボタンや紐などの留め具がなく、滑らせるようにして脱ぎ着できるもの」を指す。頭から被って着る「スリップオーバー( “slip-over” )」やセーターのような「プルオーバー( “pull-over” )」などもスリッポンの一種。肩紐で留めるタイプの女性用の服で、上からも下からも着られるものを「スリップ・オン・ドレス」といい、この形の下着や夜着を「スリップ」と呼んでいる例もある。
 「ネグリジェ( “ne´glige´” または “negligee” )」は女性が寝巻の上に羽織る化粧着・部屋着。日本語でいう「ローブ」「ドレッシング・ガウン」である。日本語でいう「ネグリジェ」は “night gown” か “night dress” で、口語では “nighty” 。


「パンツ」と「ショーツ」
 「パンツ( “pants” )」は「パンタロン( “pantaloons” )」の略。「パンタロン( “pantaloon” )」は、古いイタリア喜劇・黙劇(パントマイム。「パントマイム」はギリシャ語の「すべてを真似る人」から)のパンタローネ(痩せこけた老人の役)を意味し、パンタローネが細身のズボンを穿いていたとこから、「ぴったりしたズボン」のことをパンタロンと呼ぶようになった。「パンティ( “panties” )」は「短いパンツ」。
 「ショーツ( “shorts” )」と「ブリーフ( “brief” )」は共に「短いもの」を意味し、本来は同じもの。
 「スキャンティ( “scanties” )」は「不足した」の意。覆っている面積が少ないものを特にこう呼ぶ。
 「Gストリング( “G-string” )」は一枚布の前後に紐が結んであるもの。左右の紐を均等な長さに縛るのが厄介なため実用性に欠け、用途は主に女性用のランジェリーに限られる。別名は「バタフライ」。
 後述の「もっこ褌」タイプとGストリングを合わせて“thong”(革紐の意。発音はトング)と呼ぶこともある。別名は「ストラップビキニ」「紐パン」。世界的な「生足(なまあし)」ブームでパンティーホース(パンティストッキング)が穿かれなくなったため、普通のパンティではパンティラインが見えてしまう(これをリアル・パンティ?ラインと呼んで非常に嫌われる)ため、パンティラインが出にくい“thong”が流行中とか。
 「トランクス( “trunks” )」は「(首や四肢と区別して)胴、胴体」を意味する “trunk” から。
  “trunk hose” (複数扱い)は十六・十七世紀に流行した(主に男子用の)股までの長さの半ズボンで、中に詰め物をして穿いた。昔の王子様が穿いている提灯ブルマーのようなものがこのトランクホース。その後「股までの長さの半ズボン」を意味するようになってトランクスと呼ばれるようになり、さらに半ズボン型の下着をトランクスと呼ぶようになった。ちなみに下着のトランクスの場合、ヨーロッパ式には前開き(まえあき)がなく、前開きがあるのはアメリカ式。映画『キャノンズ』(ジーン・ハックマン主演)には、遺体の身元を前開きのないトランクスからヨーロッパ人だと割出す場面がある。
 「ズボン」はフランス語 “jupon” から。ポルトガル語( “giba~o” )経由だと「襦袢(じゅばん)」。本来は上から下までの長着を指したが、日本語になる過程で上下が別れてしまった。
 これ以外に、「股覆」ともいうべき名称不詳の下着がある。これは一枚の布を前後にあてがい、腰に締めた一本の紐で留め、余った部分を前後に垂らすタイプ。この形の下着はヨーロッパ・アルプスで発見された五千年前の凍結ミイラが着用していたことが分っているし(文献)、イエス・キリストが着ていたのもこのタイプだとされる(註)。現在でもアメリカ・インディアンやポリネシア等の南島原住民の民族衣装として残っている。
 「ふんどし」は「踏通し」が語源とされ、「たふさぎ」(「股塞ぎ」が語源といわれる)の別名もある。代表的なものは「越中褌」「六尺褌」「もっこ褌」の三種。  「越中褌」は、布の一方に紐をつけて後ろに回し、腰紐で前を押さえて垂らすもの。同じ形のものに、医療用に使われる「T字帯」がある。
 「六尺褌」は長い一枚の布を巻いて腰を覆うもの。相撲の「まわし」がこのタイプ。問題なのは下着として着用するとかさ張るというのと、横になると後ろの結び目が腰に当たって痛いこと。
 「もっこ褌」は、布の前後に紐通しがあり、一本の紐を通して脇で結ぶものである(前だけは縫いつけてあるものもある)。紐さえ解けば下ろさずに用が足せるなど便利な面も多いのだが、紐が抜けてしまうと道具なしには元に戻せないという欠点もある。
註)
 『兵士たちは、イエスを十字架につけてからその服を取り、四つに分け、各自に一つづつ渡るようにした。下着も取ってみたが、sれには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、くじ引きで決めよう」と話し合った。』(『ヨハネによる福音書』、十九・二十三−二十四)

文献)  コンラート・シュピンドラー著/畔上司訳、
 『5000年前の男 解明された凍結ミイラの謎』、文藝春秋社、1998、
 文春文庫、ISBN4−16−730977−7


「シャツ」と「ブラウス」
  英語「シャツ(“shirt”)」は古代英語の「短い」が語源で、シャツブラウス(“shirtwaist”)の省略形。シャツ襟のワンピースでありシャツドレス(“shirtwaister”)は、シャツの先祖帰りであり、シャツという名がありながらシャツではないというややこしい存在。
 ちなみに「シャツ」と同じ語源の言葉に英語「スカート(“skirt”)」があり、「裾」の意味。このあたりは日本語の「襦袢」と「ズボン」の成立事情に似ている(→「パンツ」と「ショーツ」)。
 英語「ブラウス(“blouse”)」は上半身に着るもので上着とも下着ともつかないものをいう。もともとは軍装の一部だったものが女性のファッションに取入れられ、なんとなく「女性用」というイメージが定着したらしい。しかしながら作業服の上(上に着るジャンパーではなく、その下の上半身)や軍服の上(礼装用の軍服ではなく、野戦服の上半身)も「ブラウス」である。


「ワイシャツ」と「カッターシャツ」
 明治時代には礼装用のシャツを一般に「ホワイトシャツ」と呼んでいたらしい。その後洋装が一般化するに従って、大正時代に襟とカフが一体となった簡略型が普及して「ワイシャツ」(和製英語)の名で広く着られるようになった。
 さらに下って昭和十年ごろ、襟とカフが一体となったシャツがスポーツシャツの一種として「カッターシャツ」(和製英語)の名で売られるようになった。「カラー・アタッチド・シャツ」の略であるとも、日中戦争さなかであったため“勝った”シャツであるとも、海軍でカッター(軍艦で伝馬船として使われたボート)の漕ぎ手が着ているシャツというところから命名されたとも云われる。
 現在では、ワイシャツのことを関東でワイシャツ、関西でカッターシャツと呼ぶ。


「ダブル・セット」と「ダブル・ニット」
 「ダブル・セット」とは、同じ糸、同じ柄で編んだカーディガンとセーターのセットをいう。「ダブル・ニット」は誤用。なお、「カーディガン」は将軍の名前で、本来のカーディガンは「カーディガン襟」であり、「襟無しのカーディガン」とかいうのは意味不明である。


「背広」と「スーツ」
 日本の「背広」は、一般にジャケットとズボンが同じ布でできているもの。これにベストがつくと「三揃い」。
 「スーツ」は、「揃い」のことで、日本でいう三揃いのこと。
 背広というのは詰襟の軍服のいちばん上のボタンを外して折り返し、下のボタンを外して崩して着たものがスタイルとして定着したである。襟に隠しボタンがある場合は、坐るときだけ一番下のボタンを外すというのが正式らしい。


「チョッキ」と「ベスト」
 日本語「チョッキ」はポルトガル語 “jaque” が変化したもの。日本語「ジャケツ」は英語「ジャケット( “jacket” )」から。ジャケットは英語「コート( “coat” )」(日本語「外套」)の短いもの。
 米語「ベスト( “vest” )」はラテン語の「衣服」から。英語では「ウェストコート( “waistcoat” )」
 なお、女性用の胴着は “bodice” という。


「スパンコール」と「ラメ」
 英語「スパンコール( “spangle” 」は「ぴかぴか光るもの」。
 フランス語「ラメ( “lame´” )」は、金属製の金糸・銀糸。
 したがって、ラメもスパンコールの一種のはずだが、スパンコールといえば金具、ラメといえば金糸・銀糸と使いわけるケースがほとんど。


「靴下」と「ストッキング」
 靴下は靴の下に穿くから「靴下」なのだが、英語では “hose” (発音は “ho´uz” )。撒水用のホースと同じで、複数形で靴下類を表わす。ただし “hosier” は「靴下屋」ではなく、米語で「洋装小物商」、英語で「下着商」。
 ちなみに「パンティストッキング(日本語における略称は「パンスト」)」は英語で “panty hose” (複数形なし)。
 「ストッキング( “stocking” )」は「メリヤス編み( “stockinette” または “stockinet” )」から、膝上まである長い靴下のこと。ただし、英語で「ストッキングを穿いて( “in one´s stockings [stocking feet] ”)」は、「靴を脱いで」の意味。したがって、「ストッキング」のほうが「靴下」の語感に近い。


「ガーター」と「サスペンダー」
 「ガーター( “garters” )」は古いフランス語で「脹脛(ふくらはぎ)」のこと。ここから「靴下留め」の意味になった。
 「サスペンダー( “suspender” )」はラテン語で「下に掛ける」を意味する英語 “suspend” (「吊るす」)から、「ズボン吊り」「靴下吊り」をいうが、米語では女性用のストッキング用靴下吊りのことを「ガーター」という。


「サンダル」と「ミュール」
 「サンダル(“sandal”)」は古代エジプトから存在した履物で、革紐で足に留めるものの相称。踵の紐があるのは「サンダル」。日本の「草履(ぞうり)」や「草鞋(わらじ)」はサンダルの一種。
 「ミュール( “mule” )」は日本語でいう「スリッパ」で、別名は “scuff” 。本来の「スリッパー( “slipper” )」は、踵の低い室内履き。
 米語の「ゾーリ( “zori” )」は、「主に薄くて安物の、海岸用や室内用の日本式サンダル」。ほとんどが台湾製であるという話。

食の部


「もりそば」と「ざるそば」
 「海苔がかかっていないのがもり、かかっているのがざる」と思っている人が多い。正解は「まとめて盛るのが“もり”、一口づつつまんで盛るのが“ざる”」。
 ざるは薄くひと並べに盛るのが正しく、上からまっすぐに箸をおろして蕎麦を摘み上げると、目の高さで蕎麦が切れ、取ったあとに笊が見えるようでなければならない。これは蕎麦がべしょべしょにならないようにという配慮である。現在はせいろの上に盛るが、これは蕎麦を茹でるのではなく蒸した時代の名残。“ざる”は平べったい笊を裏返し、凸になったほうに盛るのが正式。
 海苔はかけすぎてはならず、海苔どうしが重ならないようひと並べにかける。なぜかというと、蕎麦にちゃんとからんでいないと、食べるときにあっちこっちに散ってしまうから。もまずに庖丁で細く切るのは、蕎麦にからみやすいようにという配慮。
 ぜんぜん関係ないが、蕎麦は「蓼食う虫も好きずき」のタデと同じタデ科。クレープは蕎麦粉を使うのが本式。


「素麺」と「冷麦」
 「素麺(そうめん)」と「冷麦(ひやむぎ)」 は、JAS(日本農林規格)によれば太さの違いということになっているが、本来は製法の違い。素麺は表面に油を塗って引延ばして作り、冷麦は蕎麦と同じように薄く延べてから切って作る。「素麺は寝かせたようが味がよくなる」と言われるのは、延ばすときに使った油の臭みが飛ぶため。なお、沖縄では素麺を炒め物に使う。
 なお、『揖保の糸』で「手延べひやむぎ」というのを出していて、邪道っぽいと思ったら食べてみたらすこぶるうまかった。悩む。
 「饂飩(うどん)」の別名に「麦縄」があり、冷麦は「麦縄を冷やしたもの」の意。したがって、「ざるうどん」「盛りうどん」は「冷麦」の一種といえる。“冷”麦と云いながら熱くして食べても美味であり、代表的な料理に焼いた鯛を添えた「鯛麦」がある。


「メン」と「そば」
 中華料理屋のお品書きに「〜メン」と「〜そば」があるのはなぜか、という話。
 明確な線引きはないが、具にあんがかかっていないのが「めん」で、具にあんがかかっているのが「そば」あるいは漢字の「麺」だという説あり。たとえばの話、「ラーメン」「タンメン」にはとろみがついていないが、「五目そば」「牛そば」「天津麺」にはとろみがついている。


「冷やし」と「ぶっかけ」
 実は同じもの。蕎麦、饂飩につゆをぶっかけて食べる「ぶっかけ」は江戸時代にはふつうのスタイルだったが一時忘れられ、冷麺や冷やし中華の普及から、「冷やし」の名前で復活した。


「卵」と「玉子」
 「卵」は中国語で「殻のないたまご」「殻を除いたたまご」。「魚卵」は「殻のないたまご」の例、「卵白」や「卵黄」、「全卵」は「殻を除いたたまご」の例。
 中国語で「殻のあるたまご」「殻つきのたまご」は、「蛋」という。「蛋白質」や「皮蛋(ピータン)」がこの例。
 「玉子」は「蛋」とほぼ同義だが、「玉(ギョク)」には「貴重な」というニュアンスがあるため「滋養のあるもの」「貴重なもの」と解釈すべきであろう。昭和三十年代までは、病気見舞にしばしば玉子が用いられた。
 したがって、「ゆでたまご」は「茹で玉子」であって「茹で卵」ではなく、中身だけを湯の中で熱するのは「落とし卵」。「煎り卵」も殻を除いてあるので「卵」を使う。「たまごやき」も鶏の玉子(の中身)を焼いたのは「卵焼き」であり、「玉子焼き」というと「たこやき」の一種になる。
 例外は「玉子丼」。


「しめじ」と「ほんしめじ」
 「しめじ」は「占地」と書き、「地面に株立ちする茸」の意。
 ヒラタケ科ヒラタケ属のヒラタケの人工栽培品が、「しめじ」の偽名で全国的に出回っている。ヒラタケは西欧では「オイスター・マッシュルーム」の名で好まれているだけに、残念なことである。
 しばしば「ほんしめじ」の偽名でブナシメジが売られているが、これはブナシメジが単にホンシメジと同じキシメジ科(ただしシメジ属ではなくシロタモギタケ属)に属しているところから。したがって、同じくキシメジ科に属するエノキタケ(エノキタケ属)やナラタケ(ナラタケ属)もシメジと呼んで差し支えないはずである。
 本物の「ほんしめじ」はキシメジ科シメジ属のホンシメジ、別名「ダイコクシメジ」あるいは「ネズミタケ」。人工栽培にはいまだ成功せず、採集品にごくごく稀にお目にかかれるだけ。「香り松茸、味占地」のシメジはこのホンシメジだが、同じくキシメジ科シメジ属に属するハタケシメジやシャカシメジ(別名センボンシメジ)、あるいはキシメジ科キシメジ属のシモコシなんかは十分に「本しめじ」の名に値する。


「きくらげ(木耳)」と「いわたけ(岩茸)」
 木耳はキクラゲ目キクラゲ科キクラゲ属に属する菌類。
 高級品のキクラゲと、やや固く大型のアラゲキクラゲの二種類があり、どちらも人工栽培されている。
 シロキクラゲはシロキクラゲ目シロキクラゲ科シロキクラゲで、キクラゲとは別種。
 同じシロキクラゲ科にハナビラニカワタケという茸があり、国内でも普通にみられるが、これも美味。このハナビラニカワタケには催眠作用があるらしいという巷説があるのだが、いまだ研究はされていないらしい。一説によればアミノ酸(肝臓の代謝の栄養源になる)と食物繊維(腸内の滞留物の排泄を助ける)が体内の毒素の排出を促進して、鬱血や鬱熱、筋肉や臓器の腫れを取り、ストレスを減らすということである。「キクラゲと菊の花の酢のもの」や「シロキクラゲとタピオカ入りココナツミルク」が不眠に効いたという話もあるので、興味のある方は実験のうえ当方に結果をお知らせ願いたい。
 岩茸はウメノキゴケやサルオガセ(霧藻)と同じ地衣類。アラゲキクラゲよりさらに大型で固く、裏が白いのですぐ区別できる。味よりも健康増進を期待して食べられるが、効果のほどは不明。
 いずれも食物繊維が豊富なため、コンニャクや海藻同様便秘に効果あり。


「わけぎ」と「あさつき」
 どちらもユリ科植物で、ネギの仲間だがネギとは別種。
 「あさつき」は縄文時代から食されている日本古来の野菜で、ネギの出回らない季節にネギの代りにしばしば用いられた。


「あわび」と「とこぶし」
 殻に開いている出水孔の数が、鮑は4〜5個、とこぶしは6〜7個と云われているが、あまり正確ではない。むしろ出水孔が外に尖っているのが鮑で、平らなのがとこぶし。
 日本の鮑は大きく分けて四種。もっとも大型の「マダカ」。それに続く「メガイ」(別名ビワガイ)。さらに小型の「オガイ」(別名クロまたはアオガイ)。オガイの地方変種「エゾアワビ」。旬はエゾアワビは冬、それ以外は夏。
 祝儀袋についている熨斗(のし)は、鮑をのして干物にしたもの(これを「熨斗鮑」という)を祝儀の進物にしたところから、それが形式化されたもの。
 大型のほうが珍重される理由は縁起物だからで、鮑は大きいほうが美味いとか、とこぶしより鮑のほうが美味いとか、そういうものでもないらしい。
 ちなみに、どちらもミミガイ科の巻貝。二枚貝ではない。


「海老」と「蝦」
 「海老」は英語の「プローン( “prawn” )」に相当し、車海老や大正海老などの大型のエビで、主に海産。
 「蝦」は英語の「シュリンプ( “shrimp” )」に相当し、手長蝦などの小型のエビで、主に淡水産。
 したがって、「エビでタイを釣る」は、「蝦で鯛を釣る」。
 「ロブスター( “lobster” )」は「海棲のざりがに」で、「淡水産のざりがに」は “crayfish” 。ニューオリンズの名物料理ジャンバラヤに使われるのはアメリカザリガニ。日本には食用蛙(ウシガエル)の餌として戦後に持込まれたが、田んぼの畦に穴を開けるため嫌われている。
 ついでながら、英語では伊勢海老も “lobster” であるが、 “spiny lobster” と呼んで区別する場合もある。
 「アミ」はエビとは別種。「オキアミ」もエビやアミとは別種。お間違えなきように。


「ビネガー」と「酢」
 「ビネガー」は「酸っぱい葡萄酒」の意で、日本でいう「ワイン・ビネガー」のこと。  漢字「酢」は、「酸っぱくなった酒」で、醸造酒全般。
 したがって、ワインビネガーを「ビネガー」、穀物酢を「酢」と使い分けるのが合理的。
 ちなみに日本語の「す」は「すっぱいもの」の意。「酢橘(すだち)」は「す」の採れる「柑橘類」ということ。


「雑炊」と「おじや」
 どちらも現在でいう「炊込み御飯」のことをいう。「雑炊」が本来の呼び名で、「おじや」は女房ことばであるらしい。


「赤飯」と「おこわ」
 「赤飯」はもともと「赤米(米の品種)で作った飯」であったという説が一般的。その後「小豆」(「赤小豆(せきしょうず)」ともいう)で赤い色をつけた飯を指すようになり、小豆より実が割れにくいということでササゲが使われるようになったという。
 「おこわ」は「強飯(こわいい)」が語源で、米を甑で蒸した固い飯のこと。現在の「炊飯」は「姫飯(ひめいい)」といった。赤飯も「おこわ」の一種。「おこわ」には餅米を使うのが一般的なため、「餅米を炊いたもの」が「おこわ」だと一般には云われている。
 ついでながら、葬式のときは会葬者に黒豆で炊いた「おこわ」を配るのが一般的であった由。


「小田原のういろう」と「名古屋のういろう」
 「ういろう」は「外郎」と書く。
 小田原の外郎は喉の薬で、「外郎売」の口上は歌舞伎で有名であり、発声練習によく使われる。
 名古屋の外郎は、薬の外郎を服んだあとの口直しに食べるもの。


“whiskey” と “whisky”
 イングランドでは “whisky” 、米国やアイルランドでは “whiskey” と綴る。ただし、米語では国産品には“whiskey” 、輸入品には “whisky” を当てることもある。
 ちなみにウィスキーは十二世紀頃にアイルランドで作られたのが始まりだから、「本当のウィスキー」はあくまでアイリッシュであり、スコッチやバーボンは偽物であるとアイルランド人は主張する。語源はケルト語の “wisge beath” (中世英語なら “usque baugh” )で、「命の水」の意。それが後世になって省略され、頭の「水」( “wisge” )の部分だけが残ったという。ついでながらロシア語「ウォトカ」も、「水」(ワーダ)の派生形。
 蛇足だが、「海」を意味する日本語「わた」(「わだつみ」)や韓国語の「パダ」は、「水」を意味する英語「ウォーター」やロシア語「ワーダ」とは無関係。
 なお、北欧で蒸留酒を意味する「アクアビット」はラテン語「アクアヴィータ」(「 “aqua” (「水」)+ “vita” (「生命」)」)がほぼそのままの形で使われたもの。このラテン語「アクアヴィータ」が本来の形で、キリスト教とともにヨーロッパ全域に広まったらしい。したがって、ウィスキーの名前もここから来ているという。

住の部


「四角四面」と「几帳面」
 「四角四面」は、断面が長方形で角が直角。
 「几帳面(きちょうめん)」は、柱の角が目立つように鋭角になっており、そのぶん面の部分を削り込んであるので段差ができる。能舞台の目付柱などに用いられる。
 どちらもぶつかったときに危険だし、柱の角も傷みやすい。したがって丸みをつけるか面取りをするのが一般的。いまどきの能舞台は、予算の関係かどうか知らないが、ほとんど普通の面取り柱である。


「桁(けた)」と「梁(はり)」
 「桁」は「柱と柱を水平に繋いで支える構造材」。水平ではなく「斜めに繋いで支える構造材」は「筋交い」。
 「梁」は「屋根を支えるために渡した、太くて長い部材」。
 イエス・キリストは「あなたは兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目には丸太があるではないか」(『マタイによる福音書』、七・三−四)と言ったというが、目の中に丸太が入るわけがない。原文のギリシャ語では、この「丸太」に相当する言葉には「桁・梁」の意味もある。したがって、「人間は他人の目の中にある木屑は見えるのに、自分の目の前にある桁に気づかない」わけで、結果的に頭を強かにぶつけてひっくり返ったりするのである。ひょっとしたら、イエスというひとは背が高くて、ぼんやり型の性格で、自嘲的なユーモア感覚の持主だったのではないだろうか。
 なお、「鴨居」は「敷居」と対になる言葉で、戸を立てる溝がある横木。

国語の部


「言う」と「云う」
 「言う」は「口に出す」「発表する」の意。
 「云う」は「世間一般で云う」の意。
 ちなみに「謂う」は「考えた結論を発言する」。


「龍」と「竜」
 意外なことに「竜」が正式で、「龍」は俗字であるらしい。したがって、漢和辞典で見出しになっているのは、「竜」。


「独擅場(どくせんじょう)」と「土壇場(どたんば)」
 「独擅場」は「ひとりほしいままにふるまう場」のことで、「擅」は「セン」と読み、「恣意的」の「恣」と同じく「ほしいまま」の意。
 「土壇場」は首切り刑場の土盛りのこと。絞首刑の縄が頚にかかった状態を想像していただきたい。
 「独壇場(どくだんじょう)」というのは、このふたつの言葉がごっちゃになったもの。


「おざなり」と「なおざり」
 「おざなり」は「お座なり」で、「その場しのぎ」。
 「なおざり」はふつう「等閑」と書き、「放ったらかし」。


「役不足」と「力不足」
 「役不足」は、役者の力量に対して役が軽すぎること。「力不足」はその逆。
 「力不足」の意味で「役不足」を使わないように、注意すること。


「あたじけない」と「かたじけない」
 「あたじけない」は「金銭に対して貪欲な」。
 「かたじけない」は「感謝に堪えない」。おそらく東日本の方言で、江戸弁で「おかたじけ」あるいは「かっちけねぇ」。


「いじきたない」と「いぎたない」
 「いじきたない」は「食い意地が張っている」「貪欲である」。
 「いぎたない」は「寝穢い」で、なかなか目を覚まさない。反対語は「目ざとい」だが、「寝起きがよい」の意味で「目ざとい」を使うことはほとんどなく、「よく気がつく」の意味で使われる。


「むつかしい」と「むずかしい」
 同じ。「むつかしい」が本来の形で、「むづかしい」「むずかしい」と変化したもよう。昔は「六ヶ敷」と書いて「むつかしく」「むつかしき」と読んだ。


「可愛い」と「かわゆい」
 意外なことに、「かわゆい」が本来の形。「可愛い」は当て字。


「気が引ける」と「気のおけない」
 「気が引ける」の反対語が「気のおけない」(=「心安い」)。
 「気のおけない」を「油断ができない」の意味だと思っている人がときどきいるから注意が必要。


「邪魔くさい」と「辛気臭い」
 「邪魔くさい」は「イライラするほどごちゃごちゃとややこしい」。「面倒臭い」の意味で使うのは、間違い。
 「辛気臭い」は「鬱陶しい」。「陰気で暗い様子」の意味で使うのは間違いで、その場合は「抹香臭い」。
 ついでながら、北海道方言の「はんかくさい」は「半可臭い」で「小賢しい」。


「小麦色」と「狐色」
 「小麦色に日焼けした肌」の「小麦色」は小麦の籾の色で、「赤茶色」。「赤銅(あかがね)色」とも。インディアンが「レッド・スキン」と呼ばれるのは、このため。
 「狐色」は「焦茶色に近い黄色」。こちらは小麦粉が軽く焦げた色。
 ちなみに、麦や稲の穂の色は「黄金色」。向日葵、蒲公英、福寿草の花の色にも使う。


「子」と「仔」と「小」
 「子羊」は「親羊」の反対語。
 「仔羊」は「成羊(なんて読むんだ?)」の反対語。
 「小羊」は「大羊」の反対語。
 とはいえ、「子供」の反対語は「大人」。
 「成人」の反対語は「未成年者」で、「成牛」の反対語は「犢(こうし)」。
 「成虫」の反対語は「幼虫」で「成魚」の反対語は「稚魚」だが、「仔」には幼虫や稚魚の意味もある。なお、孵化直後の魚を「稚魚」、稚魚と成魚の中間を「幼魚」という分けかたもある。
 「小人(しょうじん)」の反対語は「大人(たいじん)」ではなくて「君子(くんし)」。
 「小人(こびと)」の反対語は「巨人」。
 これだから世の中は油断がならない。

算数の部


「数式」と「方程式」
 「数式」は、数学的記法を使って表現された数学的概念である。数学の世界における文章であり楽譜であり化学式である。したがって、「愛してます」は数式では書けない。逆に、数式で書けることはすべて文章で書ける。(註)。
 「方程式」は、基本的に「解く」ことを前提として書かれる「関係式」で、「数式」の一種。数学の世界には、「有名な方程式」というのは原則として存在しない。なぜかというと、数学というのは「関係」について研究する学問なので、「方程式」が出てくるのは試験の時や研究の過程だけなのである。したがって、「有名な方程式」というのは物理学や化学などの応用分野か、せいぜい情報数学などの応用数学の分野にしかない。ちなみに「最も美しい方程式」といえば、電磁波の伝わりかたを表現した「マクスウェルの波動方程式」である。
 「関係式」というのは、おのおのの値の関係を表わす数式。「数学における最も美しい関係式」といえば「自然定数のマイナス・虚数単位掛ける円周率・乗は、マイナス1に等しい」という「オイラーの関係式」で、「物理学における最も美しい関係式」といえば、「ある物体が持つエネルギーは、その静止質量掛けることの光速の自乗に比例する」という「アインシュタインの関係式」。言葉で書くとこのように分かりにくいので、数式を使って書く。
 「公式」は、与えられた値から求める値を与える数式。関係式から未知数を左辺に掃出して作る。代表例は「根の公式」。
 「F1( “Formula 1” )」の‘F’は「数式」のこと。これはレギュレーションを表わす数式から。

註)
 「だったら数式なんか使わなければいいじゃないか」と思われるかもしれないが、数式なしで数学の本を書こうと思ったら、十倍面倒臭くて十倍厚くなって十倍解りにくくなる。
 「数式がわからないから数学がわからない」という人がいるが、「ごもっとも」と言うしかない。数学的概念を表わすのにもっとも便利な表現法が「数式」なのである。したがって楽譜の読めないミュージシャンと同じように、それで何とかなったら天才である。江戸時代までの日本の数学は「数式を使わない数学」であって、ほとんど常人の理解を超えており、数学者といえば狐狸妖怪、妖術使いや天狗の類だと思われていた(嘘ではない。葛葉狐を母に持つといわれた阿倍晴明や、荒俣宏の『帝都物語』の加藤保憲のモデルである賀茂保憲などがその好例である)。それが何とか世界的な水準に達していたのは、「そろばん」という世界最高性能の計算機があったからである。
 だから、数学ができない人はまず数式が読めるようになるのが早道である。このとき、数式を見て「わからん」という場合は、その数式を書いた奴に文章で数式の内容を説明させるのが一番早い。説明できない場合は「そもそも書いた奴が解ってない」し、説明されても解らん場合は「文章がヘタ」なのと同じく、書いた奴が「数式がヘタ」なのである。これとまったく同じことがコンピュータのプログラムについても言える。


「十露盤(そろばん)」と「算盤(そろばん)」
 「十露盤」というと、本来は「珠が十個あるそろばん」のことで、古代ギリシャの時代から使われていたアバカスと同じものである。ヨーロッパ人には使いこなせなかったらしくあまり普及せず、それが哲学者として知られるパスカルの計算機の発明につながったといわれる。日本で計算機の普及が遅れたのは十露盤の普及があったせいだという意見もあるが、のちに日本が電卓大国ニッポンとなったのも、十露盤という強力なライバルの存在があったせいだという意見もある。現在は実用性を重視した上一・下四の「四つ珠」が主流だが、昔は上二・下五のタイプが普通だった。電卓が普及した現在では算盤は実用的な計算機というより教育用器具としてのほうが重要なので、古いタイプの算盤がもっと普及していいと思う。
 「算盤(そろばん)」はもともと算木を並べるための板で、「計算用の盤」ということで「そろばん」の意味に使われるようになった。桝目が切ってあって、基準の枡から右に「一・十・百・千・万……」、左に「割・分・厘……」となっていて、下に向かって「平方・立方・三乗……」と書いてある。つまり、現在では「二乗・三乗・四乗……」となっているものが、算盤では「平方・立方・三乗……」となっていて、「乗」は文字通り「乗法の回数」の意味になっているのである。つまり、「五掛ける五掛ける五掛ける五」は現在でこそ「五の四乗」だけれど、昔は「五に三回五を掛けたのだから、『五の三乗』だ」と考えたのである。考えたら実用上「立方」より上は四次元世界の話なので、どっちでもいいと言われればどっちでもいい気がする。


算数の部


「重量」と「質量」
 「重量」は、「重力加速度下での、その物体が外部に与える重力」。無重力空間では重量はゼロになる。水の中では重量は軽くなるため、水より軽いものを水の中に押込んだ場合、重量はマイナス。秤があれば簡単に測定できるので、工学の世界ではこっちを使う。
 「質量」は「その物体が、加速度(重力加速度を含む)に反応するときの反応しにくさ」。質量は物質が静止している場合は無重力空間でも水中でも変化しないが、特殊相対論まで考えに入れると話はややこしい。化学関係では気体の質量なども考えるので、こっちを使う。
 「Kg(キログラム)」は工学単位系における重量の単位である。現在のSI単位系では「N(ニュートン)」が力の単位で、「Kg」は質量の単位である。
 「鉄1Kgと綿1Kgはどちらが重いか?」といわれれば、工学単位系においては「同じ」が正解で、SI単位系では「鉄」が正解。理由は「質量は同じだが、浮力が働くぶんだけ『重さ』が減る」から。ただし、空気中で実際に測定してみると綿のほうが重い。理由は「綿は綿自体の重さに加えて、吸収している水分の重さがあるから」。つまりこの問題を真面目に考える場合は、鉄と綿のそれぞれを純粋な状態で同体積・同質量の密閉された真空容器に入れて比較する必要がある(真空でなくてガスが入っていると、容器の容量が同じなら鉄のほうが重くなる。理由は鉄のほうが密度が小さいので、ガスが余計に入るから)。したがって、「測定条件が示されていないので、判断できない」というのが正解であるような気がする。
 けっきょくのところ、「鉄1Kgと綿1Kgはどちらが重いか?」なんていう問題を出すほうが悪いのである。「鉄1Kgと綿1Kgの重さを比べたら、なぜか綿1Kgのほうがわずかに重かったという。考えられる理由を述べよ。(理科年表および電卓使用可)」とかいった論述式の問題にするのが、いちばんまともな解決策だと思う。


「二酸化炭素」と「炭酸ガス」
 「二酸化炭素」は英語の「カーボン・ジオキサイド」の直訳。
 「炭酸ガス」は、炭が燃えるときに出る、水に溶かすと酸性を示すガス。
 ちなみに「ソーダ」は「炭酸ナトリウム」の別名。ナトリウムを英語では「ソーディウム( “sodium” )」という。重炭酸ナトリウム(重曹)が酸に出会うと炭酸ガスを発生するところから、炭酸の別名になった。「ソーダ水」は「炭酸水」の別名で、メロン味でなくても「ソーダ」である。
 なお、どうでもいい話だが、とある喫茶店でコーヒーフロートだのティーフロートだのコーラフロートだのに混じって「ソーダフロート」を注文したら、マスターが三十秒くらい考えこんでいた。「『クリームソーダ』じゃないかぁ……」。確かに気がつかんわな、これは。


「蜥蜴(とかげ)」と「蛇(へび)」
 脚があればトカゲだが、脚のないアシナシトカゲもいる。まぶたがあればトカゲだが、カナヘビにはまぶたがない。尻尾(肛門より後ろの部分)が胴体より長ければトカゲだが、尻尾の短いトカゲもいる。草食ならトカゲだが、もちろん肉食のトカゲもいる。
 決定的な違いは顎の骨で、一続きならトカゲ、左右に別れていればヘビである。


「笹」と「竹」
 成長しても筍の頃の皮が落ちないのが笹。落ちるものは竹。
 とはいえネマガリタケは笹である。どっちも俗称ということか。


「菖蒲」と「花菖蒲」
 端午の節句の菖蒲湯の「菖蒲(ショウブ)」はサトイモ科で、花は水芭蕉の花をうんと小さくして緑色にしたような形をしている。ちなみに水芭蕉もサトイモ科である。
 「花菖蒲(ハナショウブ)」はアヤメ科で、花は鑑賞用。


「アヤメ(菖蒲)」と「カキツバタ(杜若)」
 どちらもアヤメ科で、花もよく似ている。ただしカキツバタは一年中水のあるところでも育つが、アヤメは陸上で育つ。「ハナショウブ」はこの中間。アヤメよりもっと乾燥に強いのが「イチハツ」で、屋根の上などに植える。
 「アイリス」は「イチハツ」と同じものだが、欧米人はアヤメに似た花をほとんど区別せずにアイリスと呼んでいる。


「アマリリス」と「ベラドンナ・リリー」
 「アマリリス」は中南米原産のヒガンバナ科の一群ヒッペアストラムの通称。
 ところが「ベラドンナ・リリー」とも呼ばれる本物のアマリリスは南アフリカ原産で同じくヒガンバナ科の別属アマリリス・ベラドンナ。違いは俗称アマリリスの茎は中空、花季は五〜六月で、葉は花より先に出ることが多く、本物のアマリリスの茎は中実、八月ころに咲いて葉はその後に出る。


「落花生」と「南京豆」
 「落花生」は花が地面の下に潜って実をつけるところからこの名がついた。
 「南京豆」は、「小さいから“南京”豆」(類例は「南京虫」「南京錠」「南京時計」など)という説と、「日本的ではないから」(南瓜の別名「南京」や、カニ玉丼の別名「天津丼」など)の二説あり。
 なお、殻がついているのが「落花生」で、炒って殻を剥くと「南京豆」、渋皮も剥いてバターと塩で炒ると「ピーナッツ」であるという意見もある。


「ギンナン」と「イチョウ」
 「銀杏(ぎんきょう)」は文字通り「ギンナン」のこと。学名の“ginkgo”も「銀杏」に由来するが、どこかで“ginkyo”を写しまちがえたらしく、こういう怪しげな綴りになっている。
 和名の「イチョウ」は中国語の「鴨脚(ヤーチャオ)」に由来し、葉の形がカモの足に似ているところからの命名。


「死臭」と「屍臭」
 「死臭」は腐敗臭で、主に腸内細菌を含む常在細菌によるもの。軽微なものは枯草とヨーグルトを足して二で割ったような臭いで、お香の臭いでごまかせる程度のものである。ただし、腐敗が進んでくると窒素分が利いてきて、いわゆる「肉の腐ったような臭い」になるのでけっこうつらい。
 「屍臭」はトムライカビという大型のカビが発する匂いで、こちらはめちゃくちゃ強烈である。トムライカビが発生するには動物の屍骸がある程度の量存在する必要があるので、「屍臭あるところに屍体あり」というのが経験則になっている。


「縦縞」と「横縞」
 頭と尻の方向を軸(体軸という)として、平行なのが「縦縞」、直角なのが「横縞」。したがってシマウマは横縞。


「右巻き」と「左巻き」
 植物の蔓は、右へ右へと曲がりながら上昇してゆくのが「右巻き」で、逆に左へ左へと曲がりながら上昇してゆくのが「左巻き」。つまり、普通の右ネジは「左巻き」である。
 なんとかならんのか、というのは生物学者・木原均先生。『小麦の合成』を参照のこと。


「ルビー」と「サファイア」
 どちらも同じコランダム(酸化アルミニウム鉱物)で、ルビーとサファイアは色の違いだけ。ルビーの語源は「赤」で、サファイアの語源は「青」、本来はクロムの赤がルビーでチタンと鉄の青がサファイアだったが、現在は赤以外のコランダムをすべてサファイアと呼んでいる。ちなみにルビーの赤の薄いものは「ピンク・サファイア」と呼ばれる。
 天然ルビーは小粒なものが多く、十カラット以上の天然ルビーはほとんど見かけない(つまり、それ以外は合成石だということ)。ここから「もっとも小さい活字」のことをルビーと呼ぶようになった。「振り仮名」の意味で使われる「ルビ」はここから来ている。ルビでは「っ」「ゃ」「ゅ」「ょ」などの文字も他の文字と同じサイズのものが使われるのは、それより小さい活字がないせいである。


「黄水晶」と「トパーズ」
 黄水晶はシトリンとも呼ばれ、紫水晶(アメシスト)と同じく水晶の仲間。ところが「トパーズ」として売られることが多い。トパーズのほうが貴重だが、カラット当たりの値段は黄水晶もトパーズもほぼ同じで、水晶の比重が二・六、トパーズは三・五だから同じ重さなら黄水晶のほうが大粒で見栄えがする。本物のトパーズは「プレシャス・トパーズ」(貴トパーズ)という名前で売られている。


「バロメーター」と「晴雨計」
 「バロ」は「高さ」、「メーター」は「測る」。つまり、「バロメーター」は「(気圧)高度計」。
 「晴雨計」はバロメーターの別名。「温度計」のことを「寒暖計」というのと同じ。  したがって、「この先良くなるか悪くなるかが分かる」のがバロメーター。間違って「指標」の意味で使わないこと。「気圧は天気のバロメーターである」とかいうのも、馬鹿。


社会の部


「雰囲気」と「空気」
 本来はどちらも化学用語。
 「ある物体を取巻くガスの状態」が「雰囲気」。「炭素1.5%の鋼材に対して、二十気圧、摂氏800℃、窒素100%の雰囲気中において四十分間の窒化処理を行なう」などと使う。
 「空気」は「アトモスフィア」の和訳で、「局所的な大気の状態」あるいは「大気を構成するガス」の意。
 「その場の雰囲気」というと「そこでしか通用しない」という感じがあり、「空気」というとなんとなく閉鎖的ではあるけれど、「まだしも世間的に通用する」といった感じがある。


「利己主義」と「自己中心主義」
 「利己主義者」は、文字通り「おのれの利益を重要視する人物」。「自分に損になることはしない」という消極的なものから、「自分にとって得にならないことはしない」「相手の利益より自分の利益を優先する」「相手に損をさせてでも自分が儲ける」「自分の利益になることだったら何でもする」といった犯罪的に積極的なものまで幅広くある。英語では「エゴティズム」。別名を「我利我利亡者」。
 「自己中心主義」は自分の視点でしか考えず、他人の視点が欠落しているもの。  『「みんなのもの」は同時に「自分のもの」でもあるから「自分のもの」だけど、「自分のもの」はあくまで「自分のもの」であって「他人のもの」ではありえない』
とか、
『世間の人間が悪いことをするのは連中が悪い奴だからで、自分が悪いことをするのは世間の人間が悪い奴だからそれに対抗するためにしかたなく自分も悪いことをするのだ』 とかいったことを本気で信じている、やたら迷惑な奴。英語では「エゴセントリシズム」。通称、「自己中」。
 よく混同されるものに、「エゴイズム(自己主義)」がある。これは「独立自尊」というシンプルな思想。エゴイストは一見冷酷そうに見えるし煙たい存在ではあるが、人間としては信用できる。和して同ぜず、責任感が強く職務に忠実、他人に厳しいが自分にはもっと厳しく、他人に助けられることを「恥」と思い、他人を助けることを「差し出がましい」と感じ、恩着せがましくなく、義理堅く、仲良しより好敵手を求める。愛妻家だったり女・子供・老人・動物・草花に優しい一面もあったりする。上司に疎まれたり同僚の妬み嫉みを受けたりして、失脚したり非業の死を遂げたりするのもこのタイプ。
 日本はこういうお武家様のようなタイプが生きにくい国になった。困ったものである。


「盂蘭盆」と「旧盆」
 サンスクリット語のウランバナ(「倒懸」と訳し、「逆さに吊るされる苦しみ」の意)の漢音訳で、七月十五日の自恣(じし)の日に行われる、先祖供養の節会(せちえ)である「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略。「精霊会(しょうりょうえ)」「魂(たま)祭り」、あるいは単に「お盆」ともいい、墓参を行ない、祖先の霊に飲食物を捧げ、棚経をあげる。これは仏弟子のひとり目連が、餓鬼となって餓え苦しむ亡母を見てのち仏に母を救う方法を教えられ自恣の日に供養した故事に倣うもの。
 明治以降、お盆も新暦によって行なうところが増えたが、「月が出ていないとお盆という気がしない」という地方もあって、旧暦の七月十五日に行なう土地も多い。これを「旧盆」と通称する。


「社員」と「従業員」
 法律上、「社員」といえば株主のこと。労働契約に基づいて労働力を提供して対価を受けとる、いわゆる「社員」は、法律上「使用人」と呼ばれる。
 「従業員」は、「使用人」の言替え。


「飯店」と「菜館」
 「飯店」は「ホテル」。『半島大飯店』は『ペニンシュラ・ホテル』。『老鷹合唱団』の『加州大飯店』は、イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』。
 「菜館」は「食堂」「メシ屋」。


「匕首」と「ドス」
 「匕首」は別名を「九寸五分(くすんごぶ)」「短刀」あるいは「鎧通し」といい、一尺未満の刀をいう。字を見れば一目瞭然、相手の首を掻切るための刀である。
 「ドス」は「突きを主目的とした実用刀で、一尺以上二尺未満のもの」。「道中差」などがこれにあたる。「小刀(しょうとう)」は大刀と共に「大小」として扱われるが、「ドス」はそれ自体が独立している。上州の武士は二本差を嫌い、戦国時代は長ドス一本で戦場を経巡った。これが伝統として上州やくざに受継がれたと言われる。
 幕末、新選組は二尺未満の短い刀を使ったといわれ、中でも沖田総司は突きの名手であったと伝えられている。最も有名なドス使いと言えよう。


英語の部


本の「ジャケット」と「カバー」
 本の表紙カバーのことを英語ではジャケット(“jackt”)という。
 英語で「カバー( “cover” )」といえば表紙のこと。これはヨーロッパ、特にフランスでは本はアンカット本(ページ部分が切ってない)という仮綴じ本の形で出版され、買った人が製本師に仕立てさせるという形を取っていたため。ちなみに現在のように製本された形で本が売られるようになったのは、十九世紀半ばごろから。
 ついでながらジャケットの上にしてある宣伝用の「帯」のことを別名「腰巻」、注文用のスリップのことをその形から別名「坊主」という。


「ディスコ」と「クラブ」
 「ディスコ」は「ディスコティーク」の略で、レコード演奏のある店。「ディスクジョッキー(DJ)」(通称「皿回し」)がいる。
 英語「クラブ( “club” )」は「ナイトクラブ( “night club” )」の略で、生演奏のある店。司会者(MC)がいる。


「リップマーク」と「キスマーク」
 唇形をしたものが「リップマーク(“lip mark”)」。別名を「リッププリント」。「指紋」が「フィンガープリント」だから、和訳すれば「唇紋」。犯罪捜査の際に、個人識別に使われることもある。
 「キスマーク(“kiss mark”)」には三種類の意味がある。
 ひとつは手紙の最後にキスの代りとして書かれる×印。普通は「だれそれより愛をこめて」という結びの句の後に三つ並べて書く。
 二つめはキスによってできた皮膚の腫れ。皮膚の弱いところに稀にできるが、実際にはほとんど見られない。下着の跡と同じく、放っておいてもせいぜい一日で消えてしまうし、熱いタオルを当てておけば三十分とかからずに消える。
 三つめは、「男女が別れを偲んで(あるいは浮気防止のために)相手の秘所(普段なら隠しておく場所)につける、鬱血点の集まりからなる印」。形状と大きさはヒマワリの種ほどの木の葉型。皮膚の柔らかい部分を十分に唾液で濡らし、十分にしゃぶり回して血行を促進し、唇を当てて軽く吸ってから唇をすぼめて思いっきり吸い、十秒ほどその状態を維持する。付ける場所の基本は「自分ではキスできない場所で、下着で隠れる場所で、普通なら人に見せないところで、なおかつ感じやすいところ」。主に鼠頚部、女性の場合はブラジャーで隠れる乳房の外側斜め下など。
 「キスマークを付けてもらってお守りにする」という奇特なひとがたまにいる。まあ、「お幸せに」と言っておこう。


「ラビット( “rabbit” )」と「バニー( “bunny” )」
 ウサギ科ウサギ属の「うさぎ」は「野兎(のうさぎ)」と「穴兎(あなうさぎ)」の二種(アマミノクロウサギやナキウサギは別属)。似たようなものに見えるがかなり遠縁で、遺伝子の数からして違う(ノウサギは2n=48、イエウサギは2n=44)ので交配はしない。ノウサギは夏冬で毛の色が変わり、おもに単独で棲み、一腹で3〜4頭の仔を産み、仔は毛が生えていて目も開いている。アナウサギは季節によって毛の色は変化せず、群棲し、5〜6仔を産み、仔は裸で目は閉じている。
 普通に見られる「家兎(いえうさぎ)」は、十一〜十二世紀にヨーロッパで地中海沿岸地方に棲息していた「穴兎(あなうさぎ)」を家畜化したもの。このイエウサギが日本に持込まれたのが明治の頃だから、日本古来の「うさぎ」はすべてノウサギ。
 兎を一羽二羽と数えるのは、かつて肉食を禁じられていた僧侶が「『うさぎ』は『ウ』+『サギ』であって鳥の一種である」として食したという説が一般に広まっているが、俗説ではなかろうか。兎は夏と冬で色が変わるため、洒落で「烏鷺」と呼んだからという説あり。ちなみに「烏鷺(うろ)の争い」といえば、碁のこと。
 ついでながら猪肉を「牡丹」「山鯨」、馬肉を「桜肉」「蹴飛ばし」と呼ぶのは、相撲取りの験担ぎであるという説あり。つまり、「四つ足」は「手に土がつく」ので忌まれたという。そういえば猫のことを「陸河豚(おかふぐ)」と呼ぶという話を聞いたが本当だろうか。煮ると美味いとか肉が甘いとかいった話がある。ちなみに赤犬が美味いという話は嘘だそうで、とある高校の某生物教師の言によれば、「味は変わらんかった」そうである。さらについでながら、中国のチャウチャウは食用犬である。
 英語ではアナウサギやイエウサギを「ラビット( “rabbit” )」、ノウサギを “hare” と呼ぶ。
がある。 「バニー( “bunny” )」は “rabbit” の愛称。日本語でいえば、『ウサちゃん』。ただし米語では野兎と穴兎は区別せず、どちらも “rabbit” または “bunny” と呼んでいる。
 古くヨーロッパではウサギ(おそらくノウサギ)の肉は美と愛をもたらすといわれ、八世紀には教会から禁止されたこともある。さらにウサギは多産のためか性欲・絶倫・多産の象徴とされる(こちらはたぶんアナウサギ)。聖母マリアを描いた絵画でマリアの足元にうづくまるウサギが描かれるのは、聖母マリアが性欲を克服したことを意味する。聖母マリア像が踏みつけている蛇は、エデンの園でエヴァを誘惑した蛇。「バニー・ガール」は『肉付きのいい/健康そうな』の “bonny” に引っ掛けた洒落らしい。イースター・エッグを運んでくるウサギも多産・豊穣の象徴で、たぶんアナウサギ。
 北米インディアンの民話には、野兎がトリックスターとして登場することが多い。たとえば雑誌『プレイボーイ』のトレードマークや『バグズ・バニー( “bugs bunny” )』がその例。ついでながら、 “bug” は『人をイライラさせるもの』。ただしコンピュータ・プログラムの “bug” は、コンピュータの回路にもぐり込んで動作不良を起こさせる虫のことだといわれる。さらに “buggy” には『気の狂った』あるいは『常軌を逸した』という意味があり、不整地走行用の四輪駆動車を『バギー・カー』を呼ぶのは後者の意味。
 ルイス・キャロル(英国の数学者チャールズ・ラトウィッジ・ドジスンの筆名)の『不思議の国のアリス』に登場する『三月兎』は “hare” 。


美術の部


「フランス人形」と「ビスク・ドール」
 「フランス人形」は「フランスで発達した人形を模したもの」。
 「ビスク・ドール」は「二度焼きした陶磁器で作られた人形」。


「日本人形」と「市松人形」
 「日本人形」は「和服を着た日本人の人形」。
 「市松人形」は「日本人形のうち、少女や女児を模した大型の抱き人形」。


体育の部


「図星」と「金的(きんてき)」
 どちらも「的の中央」のこと。
 ついでながら、空手で「金的」といえば、睾丸のこと。


「刀」と「太刀」
 現在の「刀」は、「打刀」から発展したもので、歩兵が使う。
 「太刀」は「馬太刀」が原型で、騎兵が使う。つまりはサーベルである。
 刃を上にして差すのが刀で、刃を下にして吊るのが太刀。江戸時代の侍が腰に差しているのは刀で、聖徳太子が腰に吊っているのが太刀。飾るときも一緒だから、飾ってあるのを見れば一発で区別がつく。ただし、戦国時代の太刀を江戸時代に入ってから刀に仕立てたものや、明治以降に江戸時代の刀をサーベルに仕立てたものもあるから若干の例外はある。


技術の部


「金槌(かなづち)」と「玄翁(げんのう)」
 基本的に金槌の別名が玄翁だが、打撃面の反対側が釘抜きになっている洋式のものを「金槌」または「ハンマー」、打撃面が二つあって片面は平面、反対側がやや丸みを帯びている和式のものを「玄翁」と区別している人もいる。
 これ以外にも、「玄翁」のほうが大型で破壊力があるという印象がある。「玄翁」の由来は九尾の狐が変じた殺生石を槌で打ち砕いた玄翁和尚の名から。
 ついでながら杭を打ち壁をぶち抜き柱を折るような大型の木槌を「掛矢」といい、同じように破壊用に使われる洋式の大型ハンマーを「スレッジハンマー(“sledgehammer”)」という。
 「トンカチ」は俗称。なお、「カチ割る」の「カチ」は「搗」で、「搗き砕くこと」。栗を搗いて皮・渋皮を除いたものが「搗栗(かちぐり)」。
 ちなみに舞台装置の世界では金槌のことを「なぐり」という。


「スパナ」と「レンチ」
 「スパナ(“spanner”)」は英語、「レンチ(“wrench”)」は米語。


「シャベル」と「スコップ」
 関東では、「シャベル」といえば「砂遊びをするときに使うような片手で持つ小さいもの」で、「スコップ」といえば「死体を埋めるときに使うような(おいおい)両手で使う大きなもの」をいう。そして、関東では先の尖ったものがいわゆる「スコップ」で、先が広がっているものは「角スコ」と呼んで区別することがある。
 逆に関西では小型のものが「スコップ」で、大型のものが「シャベル」。
 東西共に、土木作業機械の場合は「ショベル・カー」「パワー・ショベル」と「シャベル」ではなく「ショベル」を使う。
 日本語の「スコップ」はオランダ語の “schop” に由来する。で、どうやら「スコップ」というのはそういう「道具」であると認識したらしい。英語の “scoop” は「掬う」という動詞で、石炭にしろアイスクリームにしろ掬うものは大小に関わらず scoopである。
 シャベルは英語の「押し退ける」「撤去する」「移動する」といった動詞 “shove” から派生した “shovel” から。英語でいうシャベルは関東でいう「角スコ」である。
 関東でいう「普通のスコップ」を、英語では「スペード(鋤)」という。


「ダマスカス鋼」と「ウーツ鋼」
 「ダマスカス鋼」は古代インドの鉄で、シリアのダマスカスで生産された剣に使われたところからこの名で呼ばれる。別名「ウーツ鋼」で、ウーツとはサンスクリット語でダイアモンドのこと。ウォーターと呼ばれる「水面に油を流したような」あるいは「蟻が歩き回ったような」と表現される模様が特徴。この模様は球状化した炭素が作りだしたもの。ダマスカス鋼で作られた刀剣は「折れず曲がらずよく斬れる」というので、十字軍が戦利品として珍重した。製法は現在でも不明。だが、高炭素鋼を低温鍛造して作ったらしいことまでは解明できている。
 市場で「ダマスカス鋼」として出回っているのは厳密にいえば偽物。二種類の鋼をいわゆる「パイこね変形」させて交互に薄い層を作ることで紋様を作っている。


「アナログ」と「ディジタル」
 「アナログ」は「類推、たとえ話」の意味。「アナロジー」と同源。
 「ディジタル」は「指の」から「数値の」。
 「このくらい」と手を広げるのがアナログ。指折り数えるのがディジタル。アナログは直感的に分かるが、すぐ誤差が入る。釣り逃がした魚が「このくらい」とかやってるうちにだんだん大きくなるようなものである。ディジタルは直感的ではないかわりに、誤差が入りこみにくい。
 ちなみに「デジタル」は「出字たる」だという説あり。つまり、「数字や文字が出てりゃ、とりあえずデジタル」なのだそうだ。


「RAM」と「ROM」
 RAMはランダム・アクセス・メモリの略で、本のように、どこからでも読める記憶媒体のこと。別名「乱編成メモリ」。
 これに対して巻物のように、頭から順に見ていかないといけない記憶媒体がSAM(シークエンシャル・アクセス・メモリ)。別名を「順編成メモリ」。
 いわゆるROMは読出専用メモリ(ライト・オンリー・メモリ)の略。
 ROMはほとんどの場合RAMの一種だから、「RAMの反対語はROM」ではない。一般のRAMはRW−RAM(読出可能・書込可能メモリ)である。
 ついでながら、コンピュータ通信の世界では「読むだけで何も書かないメンバー」のことを「ROM(Read−Only Members)」といって軽く見る習慣がある。


「Cr/Lf」と「Enter」
 「Cr/Lf」は「キャリッジリターン/ラインフィード」の略で、日本語では「復帰・改行」、略して「復改」という。入出力装置がテレタイプ(遠隔操作タイプライタ)だった時代の名残。タイプライタのキャリッジ(紙を捲きつけるところ)を戻す(ただし、テレタイプでは手動のタイプライタとは逆に印字ヘッドが動く)ための制御符号(この略称が「Cr」)と、行送りをする制御符号(この略称が「Lf」)を連続して送るキー。その後テレタイプはダム端末(キーボードとテレタイプの出力イメージと同じものを表示するCRTディスプレイの組合せ)に取ってかわられ、それ自身がコンピュータで編集機能を持つインテリジェント端末を経て、現在のクライアント・マシンになった。
 「Enter」は、インテリジェント端末の時代以降に登場した、文字入力の際に使う「編集終了・入力」を示すキー。「Enter」キーを持つパーソナル・コンピュータを端末として使って通信をするとどんなコードが送られるか解ったものではないので、「なんかヤダ」というオールドタイマーがたまにいる。


「AM」と「FM」
 「AM」は振幅変調といって、電波の強さの変化で音声信号を伝えるもの。
 「FM」は周波数変調といって、電波の周波数の変化で音声信号を伝えるもの。
 AM放送は受信機の構造が簡単だが、雑音が入りやすい。FM放送は雑音が入りにくいが、受信機の構造が複雑になる。


「サルーン」と「セダン」
 同じ。運転席を区切らない箱型自動車を、英語で「サルーン(“saloon”)」、米語で「セダン(“sedan”)」という。
 「サルーン(“saloon”)」は本来、「広間・社交場」のこと。 “saloon car” は鉄道用の特別客車のことで、客室が仕切ってなく、談話室や食堂車として使う。自動車の形式としてサルーンが用いられるようになったのは一九三十年代で、それまでのオープン車にかわって密閉車室が登場したときにこの名がついた。ようやく鋼板で完全密閉の車室が作れるようになったので、ほっとして命名したというのは佐貫亦男先生の説。
 セダンはベルギー国境に近いフランスの都市名で、普仏戦争でナポレオン三世が降伏した場所。ここで使われた馬車から命名されたという説あり。セダンの本場にあたるフランスではサルーンを「ベルリーヌ」(「ベルリン風の馬車」)と呼ぶ。
 なお、 “sedan chair” といえば、十七・十八世紀に用いられていた「椅子駕籠」のこと。左右に一本づつの棒を通し、前後二人で持って運ぶ。
 サルーンに似たものに「リムジン」がある。フランス南西部のリムザン地方(中心はリモージュ市)から。リムザン地方は馬車の時代から幌用防水布の産地で、それですっぽりと覆われた形から、密閉車体型式を指すようになった。正式な定義は四ドア、側方窓三個、後方車室は運転席から仕切られ、そこにジャンプシート(跳ね上げ式座席)二個を装備することが多い。このジャンプシートは従者が坐るもの。
 「クーペ」はフランス語で「切取る」の意味。「リムジンから車体を切取ったもの」がクーペ。馬車時代から存在した名前。クーペは普通二ドアで、側方窓二個または四個を持つ密閉車室を持ち、前後一列または二列席を備える。
 「ワゴン(“wagon”)」は荷馬車。四輪で、通常は二頭以上の牛馬が牽く。ここから転じて鉄道の貨車をいう。米語「ステーション・ワゴン(“station wagon”)」は運転席の後ろに折畳み座席(あるいは取外し式の座席)があり、その後ろに後部ドアから荷物を入れることのできる荷物スペースがあるもの。英語では「エステート・カー(“estate car”)」
 「ロードスター」は「道を行く者」の意味で、二座席のスポーツカー。小型の風防ガラスと簡単な幌を持つ。幌のないものを「スパイダー」と呼ぶのは馬車の時代から。
 「カブリオレ」はフランス語「カブリオール(「跳上げるもの」の小型のものの意で、小型の跳上げ幌)」が語源で、幌付きの車全般を言う。
 フランス語「フェアトン」(英語「フェートン」)はオープンカーの一種で一人乗り。運転席の背かけ上に全幅にわたる金属製の仕切りがあり、これが側面となだらかに結合している。これがないのが「トーピード(魚雷)」。前後二列席のフェートンをダブル・フェートンと呼ぶ。
 GT、すなわち「グランドツアラー」(フランス語「グラン・ツーリスモ」)は英国貴族の子弟が見聞を広めるために従者を連れてヨーロッパに旅行する「グランド・ツアー」から。つまり長距離旅行用の馬車。

>佐貫亦男、『マン・アンド・マシン 飛行機と車に挑んだ人々』、講談社、1985、ISBN4−06−201729−6


「ポリグラフ」と「嘘発見器」
 「ポリグラフ」は「複数の値を同時に記録できる(主にペン型の)自記記録計」のこと。したがって心電図や脳波の記録装置にも使われる。
 「嘘発見機」は呼吸、脈拍、掌の皮膚の電気抵抗(発汗の度合を表わす)、上腕と腕の皮膚電位差(覚醒度を表わす)などをポリグラフによって同時に記録・表示するもの。


家庭の部


「へら」と「こて」
 お好み焼きを焼くのに、関西では「へら」、関東では「こて」を使う。
 「同じもんじゃないか」という意見もあるが、「へら」は掬うもので「こて」は押さえるものだという意見もある。したがって、関東でも「もんじゃ焼き」の場合は「へら」。
 [この件に関しては、今後の調査研究を待ちたいところである。情報提供を乞う。]


「刺身包丁」と「柳葉包丁」
 「刺身庖丁」は、刺身を引くための細身の庖丁。
 「柳葉庖丁」は「柳刃庖丁」とも書き、切先が尖ったもので、刺身を引く以外にも使える。
 「蛸引き」は主に関東地方で使われるもので、切先は平ら。刺身を引く以外にはあまり用途がない。


「菜切包丁」と「野菜包丁」
 「菜切(なっきり)庖丁」は、家庭用の野菜などを切る庖丁。関東刃と関西刃があり、手元の角が角張っていて刳物などができるのが関西刃。
 「野菜庖丁」は「野菜切り庖丁」「薄刃包丁」ともいい、プロが使う野菜用の包丁。


「繊切り」と「千切り」
 「繊」は、中華料理でいう「糸のように細い細切り」。
 中国語で「大根」のことを「蘿蔔(ロウホ)」という。そこで「大根の繊切り」を「繊蘿蔔」と呼び、これを音写したのが「千六本」。「千切り」はここから派生したらしい。
 したがって、「千切り」は「繊切り」が正解。


保健の部


「吐瀉物」と「ゲロ」
 「吐物」は「口から吐いた胃の内容物」。すなわち「ゲロ」と同義。
 「瀉物」は「水様便」あるいは「液状便」、すなわち「下痢便」。
 ちなみに「止瀉薬」といえば、「下痢止め」。


「恐怖」と「不安」
 目の前に具体的な対象があるのが「恐怖」、ないのが「不安」。
 この場合の“対象”というのは、「もの」ではなく、「状況」である。
 中東で四年ほど仕事をしていた人は、朝起きると衣服を払い、靴の中を検めて蠍がいないことを確認するのが習慣だった。これは、蠍に対する「恐怖」である。ところが日本に帰ってきても、なんとなく衣服や靴の中に蠍がいそうな気がして、同じように確認しないと衣服や靴を身につけることができなかった。これは「蠍がいるのではないか」という「不安」である。ところが仕事でふたたび中東に戻ると、「不安」に苦しめられることはなくなったという。
 「恐怖」は必ずしも「不安」より強いとはいえない。対象に実体が伴わず現実から遊離しているぶんだけ、「不安」のほうが対処が難しいとも言えるのである。
 神経症状の一種に「汚言」というものがある。たとえば目の前にハゲの人が現れると「ひょっとして、何かの拍子に『ハゲ!』とか口走ってしまうのではないか」という不安が湧きおこり、その不安に耐えられず実際に「ハゲ!」とか口走ってしまうのである。これが嵩じると、「やってはいけない」と思うとやらずにはいられない、という、非常に迷惑な状態になる。しかも他人にはそれが病気だとはなかなか理解してもらえない。なかなかに恐ろしいものである。


「ヒス」と「ヒステリー」
 「ヒス」は「きしみ音」。キーキーと甲高い音を出すこと。
 昔の録音を聞くと「シャー」という白色雑音が背景に入っていることが多い。これを「ヒス・ノイズ」という。最近の録音にこのヒス・ノイズが入っていないのは、ドルビー・システムのような雑音低減システムやPCM録音などのディジタル録音技術が普及したため。
 「ヒステリー」の語源は「子宮」で、「子宮が動きまわる(暴れる)」病気とされ、精神的なものが原因で出る身体症状のことを言う。
 よく間違えて使っている人がいるので注意を要する。


「不感症」と「冷感症」
 「不感症」は、正式名称を「不感愁訴」といい、「冷感症」はその一種。
 「ぜんぜん眠れないけど特に不自由はないし辛くもない」という人は「不眠症」ではない。逆に「ちゃんと睡眠時間は取れているはずなのに、ぐっすり眠ったという充足感がなく、疲労感や眠気があって辛い」という人は「不眠症」である。
 これと同じように、「不感症」というのは「充足感・満足感がなくて辛い」という病気であり、「セックス依存症であり、一度のセックスで何度もオーガズムを得られるにもかかわらず、なかつ『不感症』」という女性もいれば、「一度もイッたことがないし、セックスが気持ちいいと思ったこともないけど、カレに抱かれるだけで幸せ」みたいな非・不感症の女性もいる。
 不感症には大きく分けて「器質的不感症」「心因性(神経性)不感症」「機能性不感症」の三種類がある。
 「器質的不感症」は、糜爛や外傷などが原因で「痛くてダメ」な場合や、事故などで神経が切れていて感覚が麻痺している場合がある。これは「痛くてダメ」な場合はその部分を治療することで対処する。ただし、腕次第では「首さえついてりゃイカせてみせる」ということも可能。首筋へのキスだけでイかせる方法については、『ふたりで聖書を』を参照のこと。
 「心因性不感症」の原因はさまざまだが、多いのは「不潔恐怖」。若い女性というのはこれが普通で、「友達同士のパジャマ・パーティで、酔った勢いで裏ビデオ見てゲロを吐いた」なんていうのは珍しくない。確かに考えたら「汚い」と思うほうが正常という気はしないでもない。一般的な治療法としては行動療法がある。これは「手をつなぐ」「抱きあう」「顔に触る」「頬にキスする」あたりから段階的に慣れてゆく方法。看護婦が患者の排泄物に慣れてしまうとか、彼女が悪酔いしたときにゲロの始末をするのは別に平気とか、自分の子供のウンチは汚くないとか、その程度のもんだからわりとすぐ慣れる。
 同じく多いのは「セックス嫌悪」。母親が男性関係にだらしなかったとか、父親に性的虐待を受けたとか、そういったことが原因になる場合が多い。主にカウンセリングが中心になる。「冷感症」の一部はこのタイプで、要するに「つきあいでセックスしてる」から気分がのらないのである。「パートナーに申し訳ない」みたいな悩みがあったりする。子供を産むとセックスの肯定的な部分に目がいくようになって治るケースが多いため、あんまり深刻に悩まないとか、無理に感じたフリをしないとか、パートナーに理解を求めるとか、そういったことで解決するケースが多い。
 女性の社会進出とともに増えてきたと思われるのが「快感恐怖」。気持ちよくなってくると、「自分はどうにかなってしまうんじゃないか」という恐怖からパニックを起こしてしまうのである。これも生活史に問題がある場合が多く、ほとんどの場合、根底には男性不信がある。パートナーと共にカウンセリングを受けて信頼関係を強めてゆくことが基本的な治療法。
 「機能性不感症」は、「不感症の王道」ともいうべき不感症。全女性の六十パーセント以上、おそらくは八十パーセント前後はこの「機能性不感症」である。原因はストレス。症状としては「全身性の肩凝り」。徴候は「僧帽筋の凝り」で、甲羅を背負ったように背中が一枚板のように凝っている場合が多い。「極度のくすぐったがりで、美容院で肩を揉まれた瞬間に悲鳴を上げて飛びあがった」なんていう人は、まずまちがいなくコレである。治療法は、「パートナーにマッサージを習得してもらい、行為の前に四十五分程度のマッサージを受けること(註1)」、「規則正しい生活をして、自律神経を鍛えること」、「バランスの取れた食事を、ちゃんとお腹が空いたときに(ただし、なるべく決まった時間に)、楽しみながら取ること(註2)」、「適度の運動をし、十分な睡眠を取ること」。治療にはだいたい三週間くらいかかる。(註3)。

註1)
 そんなわけで、「女の子といい雰囲気になるとつい肩を揉みたくなってしまう」という男性は多い。雰囲気盛上がったときに「肩揉ましてくんない?」とかいうとアブナい人だと思われてしまうこともあるが、女の子の肩を揉んで「あ、こいつ上手い男見つけたな」と分かってしまう男もいる。

註2)
 「テレビを見ながら」とか、「新聞を読みながら」といった「ながら食」があまりよろしくないというのはこの点にある。ただし、食事時になると不愉快な話題を持出す奴がいる場合は、「ながら食」のほうがまだしものような気がする。食事時に不愉快な話題を持出すというのは、エサを食っている動物にちょっかいを出すのと同じくらい危険な行為である。

註3)
 女性が不感症であるかどうかの判断基準は、「一回のセックスでコンスタントに三回以上イけるか」である。したがって女性の九割は不感症だという意見もある。
 ついでながら、回数と結果については以下のような関係がほぼ成立する。

 一〜三回:普通にキモチいい。
 四〜七回:意識の混濁。舌がもつれてうまく喋れなくなる。「イってる」という感覚自体、怪しくなってきている。
 八〜十五回程度:ほぼ泥酔状態に近い、でろでろの状態。もはや気持ちいいんだかなんだか分からなくなっている。この段階で失神した場合は数秒程度で、本人には「意識が飛んだ」くらいの自覚症状しかない。
 十五回〜三十回:ほとんどイきっぱなしの、ケダモノ状態。この段階で失神した場合は三十秒から二分近く呼吸が停止することがあり、たまに救急車を呼ぶ羽目になる。このあたりでやめておくのが無難。
 三十回以上:ほとんど人外魔境。痙攣の大発作を起こし、四五時間ほど昏睡状態に陥ることがある。それまでは左右に身体を捻るように暴れていたのがまっすぐ前を向いて、ぎゅうっと手足を縮めて反り身になる赤ん坊のような姿勢(註の註)になり、がくがくがくっと激しく痙攣し(上になった男性が跳ね飛ばされそうになることもある)、喉の奥から吠えるような「がおうっ!」といった感じの声を上げてそのまま失神する。多くの場合、意識が戻ったときに、激烈な偏頭痛が残る。気がついたら病院、というケースも珍しくない。

 「あたし、何回くらいイった?」と訊かれて、「二十何回かまで数えたけど、面倒臭くなってやめた」と正直に答えてぶん殴られた馬鹿がいる。「可愛かったよ」くらいで止めときゃよかったのに。

註の註)
 この赤ん坊のような姿勢を「闘士型の姿勢」といい、焼死体はだいたいこういう恰好をしている。


「境界症例」と「境界型性格(ボーダーライン性格)」
 「境界症例」は、「精神異常とまでは言いきれないが、少なくとも正常(健康)とはいえないような症例」。「境界型性格」は、「愛情に関して病的に熱しやすく冷めやすく、安定した関係にすぐ嫌気がさし、永続的な信頼関係が築けないタイプ」。
 このタイプの女性は「石橋を叩いて壊す」傾向がある。相手の愛情を確認しつづけないと不安になり、それがどんどんエスカレートしてゆくため、親密になるにしたがって急速に我侭になってゆくように見えるが、本人にはそんな自覚はなく、単に「相手の気持が信じられなくて不安だから、試したり甘えたりしたくなる」と感じている。で、相手がいいかげん辟易してちょっとでも拒絶的な態度を取ると、一転して「裏切られた」「こんな人だったとは思わなかった」と突然掌を返すように態度を一変させて「見るのもイヤ、声を聞くのもイヤ、触られただけでぞっとする」という状態になる。
 男性から見れば結婚詐欺師と変りがなく、ストーカーを生みやすいのもこのタイプ。「あたしは男運がない」と自称する女性に多い。
 男性にもこのタイプは少なからず存在し、他人を利用しては切捨てて出世してゆくタイプがこれ。本人には「他人を利用している」という意識はさらさらなく、相手を切捨てる際にも「君には失望させられたよ」とかいった台詞を吐いたりするから怖い。


「内向的性格」と「内攻的性格」
 「内向的性格」は関心が自分の外より内に向かう心性。周囲の人間が自分のことをどう思っているか気にせず、したがって人付合いが悪く、努力より結果を重視し、他人のプライバシーに踏込まず、「根暗」だとか「おたく」だとか言われる性格。反対語は「外向的性格」。芸能人はすべて外向的性格だと思われがちだが、古典芸能で名人と呼ばれた人には内向的性格の人が多く、「馬鹿」とか「気違い」と呼ばれて尊敬される。
 「内攻的性格」は失敗の原因を外部要因ではなく、自分自身の判断や行動にあると考える心性。単に無能でいじけやすいだけの奴もいるが、「能力的にも優れていて、自信家で、責任感が強いタイプ」にも多いので、何かのきっかけで大化けしたり挫折したりと浮沈みが激しい。反対語は「あれさえなければ」「あいつが悪いんだ」が口癖の「他罰的性格」で、つまりは「懲りない性格」である。
 内向的性格は根暗だとか言われるが、決して迷惑なタイプではない。いちばん迷惑な性格は、外向的で他罰的な性格である。


「自閉的性格」と「自閉症」
 「自閉的性格」は「人間不信」で「人間嫌い」で「世捨て人」のタイプ。一見して似たタイプに「内向的性格」があるが、こちらは「自省的性格」ではあるがそのぶん「他人に関心が向かない」だけであり、べつに人間嫌いではないため少数のごく親しい友人とだけつきあう傾向があり、かえって愛妻家だったり子煩悩だったりする。
 「自閉症」は「他者」という認識が欠けている病気で、「生物」と「もの」の区別がない。したがって、「『お父さん』『お兄ちゃん』とかいった、『相対的な人間関係』を表わす代名詞が理解できない」、「目線が合わない」、「相手の感情や知識に思いが及ばない」といったことがあり、逆に法則やものの性質に高い関心を持つ。
 仮に「自閉症的性格」というのがあるとするならば、「首尾一貫した行動原則があり、法則やものの性質の解明に強い関心を持ち、不安定・不確定・不明瞭なものを嫌い、他人の思惑や気まぐれに振りまわされることに嫌悪感ないし恐怖を感じる性格」であるといえる。これは「自閉症的な性格」であるといえるが、自分を理解し称賛・協力・援助をしてくれる人に対してはサービス精神が旺盛なため、「自閉的な性格」ではない。いわゆる「職人気質」というのは、この「自閉症的性格」に他ならない。


その他の部


「イチ・ニ・サン」と「ひ・ふ・み」
 「イチ・ニ・サン」は音読みで、「呉越同舟」の故事で知られる呉国の発音。北京語だと「イー・アル・サン」となる。
 「ひ・ふ・み」はやまとことば。「ひ(一)/ふ(二)」、「み(三)/む(六)」、「よ(四)/や(八)」と倍数が音韻調和しているのはマライ・ポリネシア語族の特徴であるとする研究者もいる。
 「ひと・ふた・サン・よん・ゴ・ロク・なな・ハチ・キュウ・マル」というのは、「イチ(一)」と「シチ(七)」、「ニ(二)」と「シ(四)」が区別しにくいため、軍隊が採用した読み方。したがって「ニイタカヤマノボレ一二〇八」は、「ニイタカヤマノボレイチニイゼロハチ」ではなくて、「ニイタカヤマノボレヒトフタマルハチ」。

「向き」と「方向」
 「右向き/左向き」「上向き/下向き」のように、文字通り「向き」があるのが「向き」。
 「左右方向」「上下方向」のように、方向には向きがない。
 「進行方向」「右方向」といった言い方は、本来は間違い。
 「ウィンカー」を「方向指示器」と訳したのは、誤訳である。「進行路表示灯」か何かに改めていただきたい。


「右/左」と「向かって右/向かって左」
 二人が向い合っているときは、「向かって右」は相手の左。「向かって左」は相手の右。
 しかしながら、カウンターなどに「右からお並びください」と書いてある場合、書かれている通りに「右から」並ぶと、店員に「右から並んでください」と言われて「向かって右」から並ぶことを指示される。
 だったら最初から「向かって右からお並びください」と書いておけ、と言いたい。


「前」と「先」
 着物の合わせは、右側が手前なのが右前で、左側が手前なのが左前。
 「前向き」といえば、話し手の「手前向き」だから、「そこの家具を前向きにしてください」といえば、「こっちへ向けてください」の意。同じく「前向きに取組みたいと思います」は、他人から見ると「後退」である(そうだったのか)。したがって、「前へ向かって進め」とは言わない。「前へ進め」である。
 「転ばぬ先の杖」という言葉があるが、これは「転ばないうちの杖」であって、「転ぶ以前の杖」ではない。したがって、先というのは「自分から向こう」であり、「前」は「向こうからこっち」である。したがって、「先へ進む」の場合は目的地がはっきりしていなくてもいいけれど、「前へ進む」場合はゴールが意識されていないと、どっちが「前」だか分からなくて困る。


「前後」と「左右」
 「鏡に映ると、左右は逆なのに上下が逆にならないのは何故か?」などと考える人がいるという。ところがよく考えれば左右も上下も逆にはなっておらず、じつは前後が逆になっているのである。
 鏡に映ったものがそれ自身と重ならないもの(靴や鋏など)は、「掌性(しょうせい)」を持つと呼ばれる。長方形は掌性を持たないが、角のひとつを切り落とすと掌性を持つようになる。これを「コーナーカット」といい、パンチカード・システムに採用された。つまりコーナーカットがしてあれば、床にぶちまけても上下左右裏表が簡単に揃えられるのである。ただし順番まではわからないから、パンチカード・システムを用いたコンピュータ用のプログラミング言語(BASICなど)には、たいてい行番号がついていた。

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